劇中劇、夢語り、影法師
――ノヴァーリス『青い花』における絵画的イメージについて



 ドイツロマン派の詩人ノヴァーリス(1772~1801)による小説『青い花』の中で、主人公ハインリヒは夢の中にあらわれた青い花に啓示を受け、詩と愛と世界の神秘に導かれながら、自らの内面に深く降り行く巡礼の旅を続ける。物語は第2部に差し掛かるところで未完のまま途切れるが、物語全編の通奏低音を成す夢想の輝きは時代を越えても色褪せることがなく、『青い花』は、シュルレアリスムの思想の源泉としても精読されるべき書物となった。
 『青い花』における夢と現実の混淆はどのようなものであっただろうか? 物語中に挿入される詩、登場人物が語る夢の話など、『青い花』の叙述には幾重もの入れ子構造があり、夢と現実の境界が非常に緩やかだ。たとえば、第1部の最終章には、道中のハインリヒ一行に老賢人クリングゾールがメールヒェンを語り聞かせる下りがある。ここから物語は劇中劇の形式に突入する。クリングゾールが語るメールヒェンは、中世風のとある城下町の情景をつぶさに描き出すところからはじまる。

 「長い夜がちょうど始まったところだった。年老いた勇士が盾を打ちならすと、その音は町のさびれた小路のすみずみにまでひびきわたった。勇士が三度この合図をくりかえすと、あざやかに彩色された王宮の高い窓が明るくなりだし、窓に描かれた人物がゆれうごいた。明かりが赤っぽい色からだんだん強まっていくにつれ、窓に描かれた人物のうごきはいよいよ活発になり、やがて光が小路をも照らしはじめると、あたりの巨大な円柱や城壁までがおぼろに見えてきて、やがてクリームがかった青色の濁りのない微光につつまれて、こよなくやわらかい色を帯びていった。」[*]

 つづいて、町が山の頂きにあること、その山の四方が海に囲まれているために凍てついた海面には町の光景がそっくりと反映されていること、さらには海を包み込む遠くの山並みの様子まで、情景の描写は波紋状の広がりをもって視界を拡大させてゆく。あたかも、読者の目前に入れ子状の舞台構造が鮮やかに開示されるかのようだ。全景を見晴るかすほどの高空に舞い上がった叙述の視点は、のぼれるだけの高みにまでのぼりつめたあと、今度は、町全体を照らし出す光、立ち並ぶ建物、王宮の前の庭園、庭園を彩る金銀の宝石、という風に順繰りに焦点を絞っていき、最後は、庭園の中央で凝然とそびえ立つ噴水に収束する。凍てついた海面と噴水の不動性は、もちろんノヴァーリスが意図的に呼応させたものだろう。このようなモチーフの呼応は、全体と細部、自然と人工をなだらかに結び付け、叙述の中に夢想を溶け合わせるための装置として働いている。
 『青い花』の情景描写は絵画的である、とさえ言える。絵画的と形容したくなるのは、複数の視点が空間的に配されていることにもよるだろうが、上に引用したクリングゾールのメールヒェンについて言えば、窓に映りこんだ影法師を「窓に描かれた人物」と描写する形容のなかに、すでに絵画的イメージの萌芽が潜んでいるように思える。ここには、虚像と実像の境界を失いかけた危うい揺れ動きがある。小路の隅々までを満たしていく光と同時進行に町の様子は活気づくのだが、この光が光源を欠いた非現実的な光であることが逆説的に、虚像に生命の息吹を与えることを可能にしている。

[*]ノヴァーリス『青い花』(1989)青山隆夫訳、岩波書店、196頁。

2006/03/19


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