イタリア近現代彫刻受容小史(3)―ファウスト・メロッティ、その多面的ポエジー

2016年、国立国際美術館がファウスト・メロッティ(1901-86)の《若木》(1965/71年)を購入した。落札額は4720万円。日本国内でメロッティを所蔵する美術館が少ない現状を思うと中々に興味深いニュースである。メロッティは決して日本国内で広く知られた作家ではない。展覧会の紹介としては1999年に愛知県美術館で開催された大回顧展があり、またこれに先駆けたごくささやかな個展も1990年に児玉画廊のイタリア現代美術紹介シリーズで行われている。とりわけ、約100点ものメロッティ作品を集めた前者はカタログも高い資料的価値を誇る素晴らしい内容の大展覧会だった。しかし、この2つの個展を除けば、あとは企画展で数点のメロッティ作品が取り上げられてきた程度である(「近代イタリア美術と日本 : 作家の交流をめぐって」(1979年)、「イタリア美術の一世紀展:1880-1980」(1982年)、「軽やかさへの一考展(Un'idea di leggerezza)」(1991年)、「現代イタリア陶芸展 1950-1990」(1992年)、「イタリア美術 1945-1995 : 見えるものと見えないもの」(1997年)、「彫刻の理想郷 : イタリア・チェレからの贈りもの」(1999年)、「イタリア彫刻の20世紀」(2001年)、「ミラノ展」(2005年)など)。2010年代の今日、国立国際美術館がメロッティを購入したことで作品が人目に触れる機会が増えるわけだが、それまで決して活性化していたとは言えないメロッティ受容史には果たして何らかの変化が訪れるだろうか。
言うまでもなくメロッティは、イタリア近現代彫刻史、とりわけ抽象彫刻の歴史を辿る上で欠かせない存在である。だが、その真価は抽象彫刻の祖という側面にのみ求められるべきではない。彫刻、リトグラフ、詩など、多方面に発揮された才知を確認するためにも、ごく簡単にその経歴を辿っておこう。
出身はイタリア北部のトレントにあるロヴェレート。少年時代は美術だけでなく、ピアノや和声学を学んで音楽に親しむ(ちなみにメロッティの甥はのちにイタリアを代表するピアニストとなるマウリツィオ・ポリーニである)。多くの美術家の「順当な」駆け出し時代とは異なって、メロッティがまず選んだ進路はピサ大学で数学と物理学を、ミラノ工科大学の電気工学部で機械工学を学ぶという理系の道であった。その後は再び音楽を志してピアノを勉強。彫刻家になると決心したのは、このような変遷を経た後のこと、実に20代後半のときであった。1928年、ブレラ美術アカデミーの門を叩き、象徴主義の具象彫刻科アドルフォ・ヴィルトに師事したのだ。ヴィルトの講座ではのちに空間主義を掲げて戦後の美術シーンを牽引するルチオ・フォンタナと出会って親交を結ぶ。紆余曲折を経ているようにも見える道のりだが、美術家として始動する以前の多方面への関心は、その後のメロッティ作品にとっての確かな糧となったに違いない。
メロッティの初期の代表作であり、建築や音楽についての素養がいかんなく発揮された作品と言えば、1935年にミラノのミリオーネ画廊で披露された《彫刻》シリーズが真っ先に挙げられるだろう。これは音楽の対位法に基づいた幾何学的形態を基本単位とする抽象彫刻である。本国イタリアの評論家やメディアにはすぐには認められず、まずはスイスやフランスなどの諸外国で評価を得た。とはいえ1930年代のイタリアが抽象彫刻にまったく無理解な環境だったわけではない。当時のミリオーネ画廊は抽象美術の発信地としてカンディンスキーやアルバースの作品を紹介してイタリア美術界に抽象の風を吹き込む役割を担っていたし、メロッティが個展を開催した1935年は、メロッティの従弟のカルロ・ベッリがイタリア初の抽象美術の理論書『Kn』を刊行するという出来事もあった。メロッティ周辺の美術界は、抽象美術が発展を遂げるための素地を整えはじめたばかりであった。
他方、メロッティという作家の多面性を知ろうとするならば、美術史的にメルクマールとなる作品以外にも目を向ける必要がある。《彫刻》シリーズで鉄、石膏、ブロンズを用い、のちに工業製品にも着手して幅広く素材を試したメロッティだが、実は陶作品も多く手掛けている。もともとブレラ美術アカデミーを卒業後の1930年頃に、リチャード・ジノリ社の陶器デザイナーとして活躍していた経歴の持ち主でもある。また、1930年代は盟友のフォンタナも伝統的な陶芸の町アルビゾーラで陶制作に勤しんでいた時期だから、メロッティが陶芸に向かったのは必然の流れと言える。
本格的な陶制作に向かったのは1943年頃から。遊び心と軽やかなポエジーに溢れた陶作品、食器、タイルなどを長きにわたって制作した(ファウスト・メロッティ財団のウェブサイトで「セラミック作品」のアーカイブを閲覧すると、この作家の陶作品の射程の広さが確認できる)。他方で、「趣味の良い工芸的小品」などといった説明では済ませられないような、表現主義的な傾向をもつ第二次世界大戦度の陶作品も看過できない。たとえば1947年頃に制作された《狂気》。片手を挙げて天を仰ぐ人物像の小品だが、焼け爛れたようなフォルムと彩色が凄惨な印象をもたらす。こうした作例からは戦争がもたらす悲惨な状況への抵抗の身振りが伺い知れるのではないか。メロッティの陶作品の中では例外的な作品とも言えるが、日本で今後、メロッティ研究が展開されるようなことがあるならば、陶作品に「抵抗」のための造形言語を託したメロッティの一面も取りこぼすわけにはいかない。たとえば、『ファウスト・メロッティ展』のカタログに収録された、作陶家としてのメロッティに注目するヨーレ・デ・サンナの論文には、陶というメディアのもつ造形言語と時代との関わりについての次のような指摘がある。「戦争が終結した1945年頃に陶器は、戦争による作家の崩壊に対する粘り強い抵抗の形態となり、その一方で社会的領域への芸術家たちの参加を推進しようとする文化に適用された言語でもあったということである」(ヨーレ・デ・サンナ「作陶の芸術家、メロッティ」、39頁)。
幾何学的な形態や厳格な理論に基づく抽象彫刻で純粋性を追求する一方で、メロッティはモダニスティックな意味での純粋性からはみ出すような工芸的作品も数多く残した。メロッティのポエジーには多面性がある。メロッティをめぐる今後の言説が、その多面性を幅広くカバーすることに期待したい。


[参考資料]
Fausto Melotti, Hauser & Wirth, 2016.
『ファウスト・メロッティ展』、愛知県美術館、毎日新聞社、1999年。
「ファウスト・メロッティ財団」〈http://www.fondazionefaustomelotti.org/〉(accessed 2017-11-4)


2017/11/11