[HOME]


  1930年代
      193119321933193419351936193719381939



1930  1 「トリノの6人の画家」のグループ展(ピアッツァ・カステッロ、トリノ)。
 4 「羅馬開催日本美術展」(パラッツォ・デッレ・エスポジツィオーニ、ローマ)。イタリアで初めて日本美術を大々的に紹介。横山大観、川合玉堂、竹内栖鳳など80人が168点展示。
 5 第4回ミラノ・トリエンナーレ。
第17回ヴェネツィア・ビエンナーレ。ビエンナーレの運営がヴェネツィア市からファシスト政権へ移り、ナショナリズムに傾倒した展示が増加。中央館で未来派の展示。モジリアーニに一室が与えられる。批評家ヴァドマール・ジョルジュ企画「イタリアの呼び声展」で、パリに住むイタリア人(カンピッリ、デ・ピシス、シピオーネ、サヴィーニオほか)の作品を展示。
 9 イル・ミリオーネ画廊(Galleria il Milione)開廊(ミラノ)。バルディ画廊から改名し、ペルシコが運営に携わる。オープニングはロザイの個展。30年代において抽象美術が台頭する拠点のひとつとなる。
シピオーネとマファイの2人展(ローマ画廊)。ピエール・マリア・バルディ企画。ウンガレッティ、ロンギ、オッポらがこの展示を称賛し、「ローマ派」の画家たちの評価に繋がる。
ノヴェチェント・イタリアーノの展覧会(ブエノスアイレス)。46人が展示。
 10 「建築家サンテリアと未来派画家23人展」(ペーザロ画廊、ミラノ)。フィッリア、プランポリーニ、オリアーニ、ロッソ、ポッツォ、ムナーリ、サンテリアが展示。
 11 「ロンバルディアの芸術家たちの作品と習作展」(イル・ミリオーネ画廊)。ペルシコ企画。出品作家のアンジェロ・デル・ボン、クリストフォロ・デ・アミーチス、フランチェスコ・デ・ロッキ、ウンベルト・リッローニ、アドリアーノ・スピリンベルゴは後に「キアリズモ」と呼ばれる潮流を形成する。+[ノートを読む]
 12 フォンタナ初個展(イル・ミリオーネ画廊)。《黒い人物》などを展示。
「未来派料理宣言(il Manifesto della cucina futurista)」が『ガゼッタ・デル・ポポロ』に掲載される(トリノ)。マリネッティらが署名。「イタリアの食事の絶対的宗教であるパスタの廃棄」などを提案。
 ― この年からカッラが『アンブロジアーノ(L’Ambrosiano)』に美術批評家として寄稿(ミラノ)。
モランディ、ボローニャ美術アカデミーの版画科教授に就任。
この頃から、文学の分野などで「ネオレアリズモ(Neorealismo)」の用語が使われるようになる。

1931  1 第1回ローマ・クァドリエンナーレ(パラッツォ・デッレ・エスポジツィオーニ)。C.E.オッポが事務局長を務める。アルトゥーロ・トージが大賞受賞。ロッソとスパディーニの回顧展。
 2 「第1回未来派航空絵画展」(芸術家クラブ、ローマ)。バッラ、プランポリーニ、ドットーリ、タートらが展示。
◎「アプストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造)」結成(パリ)。プランポリーニが運動に参加。
 6 雑誌『フロンテ(Fronte)』創刊。
 ― 「第2回イタリア合理主義建築展」。ピエール・マリア・バルディとジュゼッペ・ボッタイが協力。「国家の建築」を標榜する。
この年、大学教員のファシスト党入党が義務づけられる。
満州事変勃発。

1932  5 第18回ヴェネツィア・ビエンナーレ。「パリのイタリア人」「未来主義航空絵画展」、モネの回顧展など。
 10 「ファシスト革命展(Mostra della Rivoluzione fascista)」(パラッツォ・デッレ・エスポジツィオーニ、ローマ)。ローマ進軍10周年を記念して政府が開催。ファシズムの歴史を文書、写真、芸術作品を通して展観。画家、デザイナー、建築家が多数参加。マリオ・シローニやテラーニが会場設営に携わる。
 ― この年、ファシスト政権樹立10周年を記念して、ファシスト国家建設のためのプロジェクトがイタリア全土で進行。ファシズムの称賛につながる。

1933  5 第5回ミラノ・トリエンナーレ(パラッツォ・デッラルテ)。モンツァでの国際展がこの年からミラノで開催され、壁画部門、グラフィックアート部門、現代建築部門が加わった総合芸術展となる。マリネッティとプランポリーニの企画でサンテリア回顧展。シローニのフレスコ画《労働と日々》が展示される。また、合理主義住宅がセンピオーネ公園に建設される。ムナーリとプランポリーニは空港施設のインテリア・デザイン計画を発表。
雑誌『クァドランテ(Quadrante)』創刊(ミラノ)。ピエール・マリア・バルディとマッシモ・ボンテンペッリが編集。マリオ・ラディーチェ、ジュゼッペ・テラーニらが協力。建築、美術、文学などを紹介。
 11.7 アタナシオ・ソルダーティ個展(イル・ミリオーネ画廊)。幾何学抽象の作品を展示。
 11.9 ジーノ・ボニキ(通称シピオーネ)死去。享年29歳。
 12 シローニ、フーニ、カンピッリ、カッラによる「壁画宣言」が雑誌『コロンナ(Colonna)』で発表される(ミラノ)。『コロンナ』はサヴィーニオがこの年に創刊(~1934年)。
 ― ヒトラー、ドイツ首相に就任。ナチス政権樹立。

1934  1 ジャコモ・マンズー、ローマを訪問。2人の枢機卿を従えて座る教皇を見たことが後の制作のインスピレーションとなる。
 4 イタリアで初のカンディンスキー個展。国内で抽象絵画が紹介される最初期の機会となる。
 5 第19回ヴェネツィア・ビエンナーレ。各国パビリオンでは、ファシズム支配のイタリアから離れて独自の展覧会を組織できるという規定がつくられる。
 11 「イタリアの抽象主義者」展(イル・ミリオーネ画廊)。オレステ・ボリアルディ、ジーノ・ギリンゲッリ、マウロ・レッジャーニが展示。
 12 ジョゼフ・アルバースとルイジ・ヴェネロージの2人展(イル・ミリオーネ画廊)。
 ― ロベルト・ロンギがボローニャ大学教授に就任。特別講義でモランディを「イタリア最高の現存画家」と評する。

1935  2 第2回ローマ・クァドリエンナーレ。シピオーネの回顧展。マファイとピランデッロに一室が与えられる。マファイは《長椅子の横たわる裸婦》を発表。そのほか、セヴェリーニ、デ・キリコ、マルティーニ、メッシナなどが展示。マリノ・マリーニが彫刻大賞受賞。
 3 「最初のイタリア抽象美術」展。カゾラーティとパウルッチのアトリエで開催。
 8 デ・キリコの回顧展(ピエール・マティス画廊、NY)。
 10 ファウスト・メロッティ個展(イル・ミリオーネ画廊)。

雑誌『美術批評(La critica d'arte)』創刊(フィレンツェ)。カルロ・ルドヴィコ・ラッギアンティ編集。
イタリアがエチオピアに侵攻。
 ― この年から「ヴェネツィア国際映画祭」開催。
ファウスト・メロッティ「詩学宣言」発表。+[引用を読む]
カルロ・ベッリによる著書『Kn』が刊行される。イタリア初の抽象美術の論考。
シローニのフレスコ画《芸術と科学のイタリア》がローマ大学に設置される。
ムナーリ《役に立たない機械》が未来派の展覧会で展示される。
カルロ・レーヴィ、反ファシスト活動の政治犯として南イタリアのルカーニアに流刑される。

1936  1.10 エドアルド・ペルシコ死去(ミラノ)。
 2 ◎「キュビスムと抽象美術展」(ニューヨーク近代美術館)。
 5 第20回ヴェネツィア・ビエンナーレ。フランス館でドガの展示。マリネッティ企画による未来派の展示。
第6回ミラノ・トリエンナーレ。ペルシコ、マルチェッロ・ニッツォーリ、ジャンカルロ・パランティ、ルチオ・フォンタナが「勝利の間」を設計。《勝利の女神像》が展示される。
 7 スペイン内戦勃発。
 12.26 ムッソリーニがローマで世界博覧会を開催する計画を発表。博覧会はのちに「E42」(戦後には「EUR」)と呼ばれ、都市計画へと発展。翌37年から建設開始。
 12 ◎「幻想芸術・ダダ・シュルレアリスム」(ニューヨーク近代美術館)。
 ― ジュゼッペ・テラーニ《カサ・デル・ファッショ》竣工(コモ)。イタリア合理主義の代表作となる。
ジュゼッペ・ボッタイが国民教育相に就任(~1943年)。
フォンタナがアルビゾーラでセラミックによる制作を開始。
ヴェントゥーリ『美術批評史』刊行。
◎ヴァルター・ベンヤミンが論文「複製技術時代の芸術作品」発表。

1937  10.13 ピエロ・マルッシグ死去(パヴィア)。
 ― ◎パリ万国博覧会。スペイン館でピカソが《ゲルニカ》を展示。
◎「頽廃芸術展」開催(ミュンヘンほか)。
国営撮影所「チネチッタ」設立(ローマ)。

1938  1 デ・キリコがイタリアに帰国。ミラノに住む。
 5 第21回ヴェネツィア・ビエンナーレ。この年から大賞が授与されることになり、「具象美術」を超えて活動範囲を拡げることが公式に認定される。国内大賞=カゾラーティ(絵画)、クロチェッティ(彫刻)。
 10 雑誌『コッレンテ(corrente)』創刊(ミラノ)。エルネスト・トレッカーニ編集。ファシズムに抗する芸術家たちに影響を与え、後の「コッレンテ」派の形成に繋がる。ファシスト政権の圧力がかかり、雑誌は1940年6月に発禁にされる。
人種法発布。
 ― 美術雑誌『レ・アルティ(Le Arti)』創刊。ボッタイ主幹。

1939  2.5 第3回ローマ・クァドリエンナーレ。ピランデッロ、マンズー、カポグロッシ、モランディなどが展示。航空絵画と航空彫刻の未来派展を開催。
 3 「コッレンテ」の初のグループ展(パラッツォ・デッラ・ペルマネンテ)。カッラ、レナート・ビロッリ、ラファエレ・デ・グラーダ、マンズーが展示。
 9 第二次世界大戦勃発。
 ― ファシスト党書記長ファナリッチがクレモナ賞を、国民教育相ボッタイがベルガモ賞を創設。クレモナ賞は政治色が強く、ベルガモ賞は新しい芸術に開かれた傾向があった。
◎クレメント・グリーンバーグ、論文「アヴァンギャルドとキッチュ」発表。

[PAGE TOP]
[1940年代に進む]




Copyright © 2014 Mio NAKAJIMA. All rights reserved.


chronology
イタリア近現代美術年表


年表について

凡例

年表全体を見る

1900年以前
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年以降



参考文献