1950 | 1 | カポグロッシ個展(デル・セーコロ画廊、ローマ)。初の抽象絵画「表面(Superficie)」シリーズを展示。 |
美術雑誌『パラゴーネ(Paragone)』創刊。ロベルト・ロンギ主幹。 |
4 | 「第3次空間主義宣言」が起草される。フォンタナ、ミラーニ、ジャーニ、ヨッポロ、クリッパ、カルダッツォが署名。 |
6 | 第25回ヴェネツィア・ビエンナーレ。中央館でフォーヴィスム、キュビスム、未来派、青騎士など近代美術の歴史を展観。アメリカ館でデ・クーニング、ポロック、ゴーキーの展示。国際大賞=マティス(絵画)、ザッキン(彫刻)、国内大賞=カッラ(絵画)。 |
7 | ペギー・グッゲンハイムコレクションよりポロックの20作品を展示(ナポレオンの間、ヴェネツィア)。 |
8.23 | ◆パヴェーゼが自死(トリノ)。 |
― | この年、アフロは8ヶ月間アメリカに滞在。キャサリン・ヴィヴィアーノ画廊(NY)で継続的に展示するようになる。 |
ブッリ、最初の「袋」シリーズを制作。 |
◎批評家タピエが「アンフォルメル」という呼称を初めて用いる。 |
◇朝鮮戦争勃発。 |
6 | イタリア学会設立。 |
1951 | 1 | 「空間主義技術宣言」が起草される。 |
2 | 「オリジネ」のグループによる初の展覧会(オリジネ画廊、ローマ)。メンバーの署名が入った宣言をカタログに掲載。 |
「イタリアの抽象芸術と具体芸術 イタリア 1951(Arte Astratta e Concreta in Italia - 1951)」(ローマ国立近代美術館)。ピエロ・ドラッツィオ、アキーレ・ペリッリのギャラリー兼事務所「アジュ・ドール(Age d'Or)」とアートクラブによる企画。フォルマやMACの作家ほか多数が参加。カタログ監修はジュリオ・カルロ・アルガン、コンサグラほか。 |
3 | ミンモ・ロテッラ初個展(キウラッツィ画廊、ローマ)。その後、ロテッラは奨学金を得て8月からアメリカに滞在。 |
4 | 「具体美術運動(MAC)」の展覧会(ボンピアーニ画廊、ミラノ)。 |
「カラヴァッジョとカラバッジェスキ(Caravaggio e i caravaggeschi)」(パラッツォ・レアーレ、ミラノ)。ロベルト・ロンギ企画。 |
5 | 第9回ミラノ・トリエンナーレ(パラッツォ・デッラルテ)。フォンタナがルチアーノ・バルデッサリとコラボレーションし、300メーターのネオン管を用いてパラッツォのエントランスでインスタレーション《ネオン・アラベスク》を発表。 |
11 | エンリコ・バイとセルジョ・ダンジェロの2人展(サン・フェデーレ画廊、ミラノ)。カタログで「核絵画(pittura nuclears)」に言及。翌52年に「核運動」のグループを組織、宣言文を発表。 |
「具体美術運動(MAC)」の機関誌『具体美術(Arte Concreta)』創刊。 |
「第4次空間主義宣言」が起草される。 |
12 | 第6回ローマ・クァドリアンナーレ。この年から再びパラッツォ・デッレ・エスポジツィオーで開催。モジリアーニ、マルティーニ、ヴィアーニの回顧展。ピランデッロとファッツィーニがローマ市賞受賞。 |
― | ◇黒澤明監督「羅生門」がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞受賞。 |
1952 | 2 | 「空間主義芸術(Arte Spaziale)展」(ナヴィーリオ画廊)。空間主義者による初のグループ展。フォンタナは「穴」シリーズを初発表。そのほかドーヴァ、デ・ルイージ、ペヴェレッリ、クリッパ、カロッツィ、ヨッポロが展示。 |
3 | バイとダンジェロによる「核絵画展(Peintures Nucleaires)」(Galerie Apollo、ブリュッセル)。展覧会にあわせて「核絵画宣言(il Manifesto della pittura nucleare)」発表。グループにはジョー・コロンボ、ジャンニ・ドーヴァ、ロベルト・クリッパらが集結。 |
5.5 | サヴィーニオ死去(ローマ)。 |
5 | 「テレビのための空間主義運動宣言(il Manifesto del movimento spaziale per la televisione)」が起草される。 |
6 | 第26回ヴェネツィア・ビエンナーレ。国際大賞=デュフィ(絵画)、カルダー(彫刻)、国内大賞=マリーニ(彫刻)。イタリア館ではブルーノ・サエッティ、ブルーノ・カッシナーリ、マリーニ、グットゥーゾ、カッラ、モランディ、カゾラーティが展示。日本は初めてビエンナーレに参加。 |
ヴェントゥーリによる小冊子『8人のイタリアの画家』が刊行される(ローマ)。ここに挙げられた8人の画家は、アフロ、ビロッリ、コルポーラ、モレーニ、モルロッティ、サントマーゾ、トゥルカート、ヴェドヴァ。 |
7 | オリジネ財団が機関誌『視覚芸術(Arte Visive)』創刊。 |
10 | ロバート・ラウシェンバーグとサイ・トゥオンブリがイタリアを訪問。 |
11 | クローチェ死去(ナポリ)。 |
― | ◎ローゼンバーグ、「アクション・ペインティング」の用語を初めて用いる。 |
― | 神奈川県立近代美術館開館(鎌倉)。土方定一が館長に就任。 |
1953 | 1 | ブッリ個展「絵画とコラージュ」(フラムキン画廊、シカゴ)。アメリカでの初個展。 |
3 | ラウシェンバーグ個展(オベリスコ画廊、ローマ)。ヨーロッパで初。 |
5 | パブロ・ピカソ展(ローマ国立近代美術館)。 |
8.27 | ソルダーティ死去(パルマ)。MACの新会長にはムナーリが就任。 |
12 | 「ヨーロッパの若き画家たち : 選抜展」(ソロモン・R・グッゲンハイム美術館ほか)。イタリア人作家では、ブッリ、カポグロッシが出品。 |
― | この年、ラウシェンバーグがブッリのアトリエを訪問。ブッリの作品から「コンバイン・ペインティング」のインスピレーションを得る。 |
ロテッラ、アメリカからローマに帰国。この頃から「デコラージュ」の作品を手掛ける。 |
1954 | 2.25 | ラ・タルタルーガ画廊(Galleria La Tartaruga)開廊(ローマ)。プリニオ・デ・マルティイスがオーナーを務め、ローマの美術シーンを牽引。50年代後半からアメリカ美術を積極的に紹介。 |
6 | 第27回ヴェネツィア・ビエンナーレ。統一テーマ「シュルレアリスム」。国際大賞=エルンスト(絵画)。国内大賞=ファッツィーニ(彫刻)。イタリア館ではカッラ、モランディ、マンズー、プランポリーニ、カポグロッシらが展示。そのほかクレーの展覧会。 |
― | 「コンパッソ・ドーロ賞」設立。優れたデザイナーやデザイン活動を奨励。第一回目はムナーリの《こざるのジジ》が受賞。 |
◆フェリーニ監督「道」公開。 |
5 | 『日伊文化研究』が戦時の中断を経て復刊。古美術、古典文学に留まらず、現代イタリアの文化も紹介するようになる。 |
「具体美術協会」結成(大阪)。 |
1955 | 1 | 「太陽の下に新しいものはない」(ラ・ブッソラ画廊、トリノ)。批評家ルイジ・カルルッチョ企画。抽象主義、社会的リアリズムの作家など、「はざまの世代」によるグループ展。 |
『イル・ジェスト(Il Gesto)』創刊(ミラノ)。バイとダンジェロが編集。 |
6 | 「イル・ジェスト 自由形態国際展(Il gesto. Rassegna internazionale delle forme libere)」(シュッティーニ画廊、ミラノ)。核運動が企画したグループ展。アレシンスキー、バイ、コルネイユ、ダンジェロ、フォンタナ、エルンスト、アンタイ、ヨルン、マッタが展示。 |
7 | ◎第1回ドクメンタ展(カッセル)。 |
11 | 第7回ローマ・クァドリエンナーレ。企画展「1910年から1930年までのイタリア美術のアンソロジー」が開催されるほか、ブッリの「袋」、フォンタナの「空間概念」、抽象主義の作品などを展示。マンズーがクァドリエンナーレ賞を受賞。 |
12 | ◆イタリアが国際連合に加盟。 |
― | ファッツィーニ、フィレンツェのアカデミア美術学校の彫刻科教授に就任。1958~1980年はローマのアカデミア美術学校で教鞭を執る。 |
4 | 「現代イタリア美術展」(神奈川県立近代美術館)。グットゥーゾ、カンピッリ、シローニ、デ・キリコなど10人の作家を展観。 |
5 | 「第3回国際美術展」(東京都美術館)。毎日新聞社主催。海外美術を紹介する大規模な国際展。この年に開設された日本国際美術展賞ではファッツィーニが外務大臣賞を受賞。イタリア具象彫刻ブームのきっかけとなる。 |
1956 | 4.2 | デ・ピシス死去(ミラノ)。 |
6.17 | プランポリーニ死去(ローマ)。 |
6 | 第28回ヴェネツィア・ビエンナーレ。国際大賞=棟方志功(版画)。国内大賞=アフロ(絵画)、グレコ(彫刻)。イタリア館でデ・キリコ回顧展。アメリカ館でデ・クーニング、クライン、ポロック、ステラ、トビーの展示。 |
8 | ◎「これが明日だ」(ホワイトチャペル・ギャラリー、ロンドン)。ポップ・アートの台頭。 |
― | ジャン・ピエーロ・ジャーニ『空間主義 : ある芸術傾向の起点と展開』刊行。 |
ヤニス・クネリス、ギリシャからローマに移住。 |
ジオ・ポンティ設計《ピレッリ高層ビル》(通称ポレッローネ)竣工(ミラノ)。 |
11 | 「今日の美術展」(日本橋高島屋、東京ほか)。タピエ企画。アンフォルメル、抽象表現主義などを紹介。イタリア人作家では、フォンタナ、カポグロッシ、ドーヴァ、モレーニ、ブッリ、ミルコが展示。 |
― | 彫刻家の吾妻兼治郎がイタリアに留学。ブレラ美術学校でマリーニに師事する。 |
1957 | 1 | イヴ・クライン個展「Proposte Monochrome, Epoca Blu」(アポリネール画廊、ミラノ)。《12のモノクローム絵画》を展示。フォンタナが1点購入。 |
雑誌『イル・ヴェッリ(Il Verri)』創刊(ミラノ)。ルチアーノ・アンチェスキ編集。 |
9 | 宣言文「反スタイル(Contro lo stile)」が起草される。クライン、レスタニー、ピエロ・マンゾーニ、バイ、ダンジェロらが署名。 |
11.19 | 「アルベルト・ブッリ絵画展」(カーネギー・インスティテュート、ピッツバーグ)。ジェームズ・ジョンソン・スウィーニー監修。 |
11 | アッティコ画廊(Galleria L'Attico)開廊(ローマ)。後のアルテ・ポーヴェラの作家や国外の作家(ソル・ルウィット、スミッソン、ヨーゼフ・ボイス、ギルバート&ジョージ)を紹介する場となる。ダンス、パフォーマンスなどのイベントも開催した。 |
― | この頃、トゥオンブリがローマに移住。 |
マンゾーニ、「アクローム(Achrome)」シリーズの最初の作品を手掛ける。 |
モランディ、サンパウロ・ビエンナーレで絵画部門大賞受賞。 |
― | 土方定一『現代イタリアの彫刻』刊行。 |
1958 | 1 | フランシス・ベーコン個展(ガラテア画廊、トリノ)。イタリアで初。この頃、ベーコンの絵はミケランジェロ・ピストレットをはじめイタリアの若い画家たちに影響を与えた。 |
3.1 | バッラ死去(ローマ)。 |
3 | ジャクソン・ポロック展(ローマ国立近代美術館)。 |
4.22 | マンゾーニ個展「アクロームズ(Achromes)」(パーテル画廊、ミラノ)。白のモノクローム絵画を発表。 |
4 | ◎オットー・ピーネ、ハインツ・マックらが「グループ・ゼロ」結成(デュッセルドルフ)。マンゾーニがメンバーと交流。 |
5 | トゥオンブリ初個展(ラ・タルタルーガ画廊)。パルマ・ブカレッリ企画。 |
6 | 「アメリカの新しい絵画(The New American Painting - La nuova pittura americana)」(ミラノ市立近代美術館)。タピエとピストイによる企画。ポロック、クライン、トビー、デ・クーニング、フォートリエ、ヴォルス、アッカルディ、ヴェドヴァ、カポグロッシ、フォンタナ、モレーニ、具体の作家らが展示。 |
第29回ヴェネツィア・ビエンナーレ。国内大賞=オズヴァルド・リチーニ(絵画)、ウンベルト・マエストロヤンニ(彫刻)。中央館の特別展示でブラック個展、ヴォルス回顧展。「イタリアと諸外国の若い芸術家」で、バイ、クリッパ、ドラツィオ、スカナヴィーノ、ジャスパー・ジョーンズが展示。 |
10.11 | リチーニ死去。 |
― | この年、「具体美術運動(MAC)」解散。 |
ロテッラ、この頃からローマとパリを行き来し、ヌーヴォーレアリスムの作家たちと交流。 |
フォンタナ、「裂け目(Tagli)」シリーズを手掛ける。 |
クネリス、「アルファベト(Alfabeto)」シリーズを手掛ける。 |
1959 | 2 | フォンタナ個展「裂け目(Tagli)」(ナヴィーリオ画廊)。キャンバスの表面をナイフで切り裂くシリーズを初展示。 |
4 | 「アルテ・ノーヴァ」(パラッツォ・グラネッリ、トリノ)。日本の具体や他国のアンフォルメルを紹介するグループ展。 |
5 | ラウシェンバーグ個展(ラ・タルタルーガ画廊)。「コンバイン・ペインティング」を展示。 |
7 | ◎第2回ドクメンタ。 |
10 | ◎第1回パリ青年ビエンナーレ。 |
12.28 | 第8回ローマ・クァドリエンナーレ。ジョルジョ・カステルフランコとダリオ・ドゥルベによる企画展「1930年から1945年までの若きローマ派への一瞥」では、カヴール通り派、色調主義、レアリズム、戦後の表現主義など、ローマの芸術を概観。 |
12 | アジムート画廊(la galleria Azimuth)設立。マンゾーニとエンリコ・カステラーニが運営。マンゾーニの《線(Linee)》シリーズの個展で開廊。機関紙『アジムート(Azimuth)』も創刊し、カンバスを表面に還元することを主張。ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズを紹介するほか、ドルフレス、クルト・シュヴィッタース、東野芳明らのテキストを収録した。同誌は2号まで発行。 |
― | この年、「グルッポT」結成(ミラノ)。イタリアにおけるキネティック・アートのグループ。メンバーは、ジョヴァンニ・アンチェスキ、ダヴィデ・ボリアーニ、ジャンニ・コロンボ、ガブリエレ・デ・ヴェッキ。10月に宣言文を起草。+[引用を読む] |
「グルッポN(Gruppo N)」結成(パドヴァ)。メンバーは、アルベルト・ビアージ、エンニオ・キッジョ、トーニ・コスタ、エドゥアルド・ランディ、マンフレード・マッシローニ。グルッポTと近い問題系を追求しながら、シネヴィジュアルアート、実験音楽、建築など、ジャンルを超えて活動。 |
エットーレ・ソットサス・ジュニアがコンパッソ・ドーロ賞受賞。 |
カステラーニ《黒の表面(Superficie nera)》。 |
ローマ国立近代美術館がブッリの《袋(大)》を購入したことを共産党議員が問題視。国会での質疑応答にまで持ち込んで紛糾する。+[引用を読む] |
◆イタロ・カルヴィーノ『不在の騎士』刊行。 |
5 | 「世界の中の抽象 : イタリア・日本美術展」(白木屋)。ラ・サリータ画廊から提供された現代イタリア絵画と、日本の抽象絵画を展観。ブッリ、アッカルディ、ノヴェッリ、ロテッラ、佐野繁次郎などが展示。 |
― | この頃、宮脇愛子がミラノに移住。カステラーニ、マンゾーニらと交流。 |