1940 | 4 | 第7回ミラノ・トリエンナーレ。ムナーリの個展でグラフィック・デザインを展示。 |
5.18 | 第22回ヴェネツィア・ビエンナーレ。中央館でカッラ、アフロの展示。法王やムッソリーニの肖像画が数多く展示される。 |
6 | ◇イタリアが第二次世界大戦に参戦。 |
― | 「コッレンテ」のグループが「画家と彫刻家の宣言(Manifesto di pittori e scultori)」発表(ミラノ)。 |
マンズー、ミラノのブレラ美術学校の教授に任命される。同年トリノの美術学校に派遣。 |
フォンタナ、ブエノスアイレスに移住。 |
カンディンスキーの『芸術における精神的なもの』がイタリア語に翻訳される。 |
この頃、マラパルテ邸竣工(カプリ島)。 |
◆ディーノ・ブッツァーティ『タタール人の砂漠』刊行。 |
3 | イタリア文化会館設立(東京)。 |
1941 | 12 | ◇太平洋戦争開戦。 |
― | マンズー、「キリスト磔刑」シリーズ発表。 |
レナート・グットゥーゾ《磔刑図(La Crocifissione)》。 |
◆チェーザレ・パヴェーゼ『故郷』刊行。 |
12 | ◇京都帝国大学(現・京都大学)に日本初のイタリア語学イタリア文学講座開設。 |
1942 | 5 | 第23回ヴェネツィア・ビエンナーレ。国内大賞=アルベルト・サリエッティ(絵画)、フランチェスコ・メッシーナ(彫刻)。第二次世界大戦のためビエンナーレは1948年まで中止となる。 |
9 | 第4回ベルガモ賞の展覧会(パラッツォ・デッラ・ラジョーネ)。グットゥーゾが《磔刑図》を展示し、第2等受賞。第1等はメンツィオが受賞。 |
― | チェーザレ・ブランディによるモランディのモノグラフ刊行。 |
1943 | 3 | ◆北イタリアの工場で大ストライキが起こる。 |
5 | 第4回ローマ・クァドリエンナーレ。ルイジ・バルトリーニ、デ・ピシス、グットゥーゾ、マンズー、マルチェッロ・マスケリーニ、プランポリーニらが受賞。 |
モランディ、レジスタンス活動の容疑で逮捕されるが、すぐに釈放される。その後、戦禍を逃れて家族とともにボローニャ近郊のグリッツァーナに疎開。翌44年に帰郷。 |
7 | ◆連合軍がシチリアに上陸。ムッソリーニ失脚。 |
9 | 北アメリカで軍医として従軍していたアルベルト・ブッリが捕虜になる。その後、テキサスに収容され、この頃から麻袋に絵を描きはじめる。 |
― | 政治的な理由によりグットゥーゾがローマを離れ、反ファシズムのレジスタンス活動に参加。 |
メロッティ、ローマからミラノに戻る。戦中の作品を破棄。 |
壁画制作に専念していたシローニが再びイーゼル絵画を手掛けるようになる。 |
エミリオ・ヴェドヴァがレジスタンス運動に参加(ローマ)。 |
1944 | 6.4 | ◆ローマ解放。 |
12.2 | マリネッティ死去。享年67歳。 |
― | ローマ解放後まもなくローマ国立近代美術館が活動を再開。1942年より引き続き、パルマ・ブカレッリが館長を務める(~1975年)。12月に「現代美術展(Esposizione d'arte contemporanea)」。デ・ピシス、マリーニ、シピオーネ、ピランデッロ、マファイ、ミルコ、ペリクレ・ファッツィーニらが展示。 |
デ・キリコ、ローマに移住。晩年まで過ごす。 |
メロッティの詩集『悲しきミノタウロス』刊行(ミラノ)。 |
グットゥーゾ《GOTT MITUNS》。ナチスによる大虐殺を描く。 |
◆RAI(イタリア国営ラジオ)設立。 |
1945 | 4 | モランディ個展(イル・フィオーレ画廊、フィレンツェ)。ロンギがカタログ序文に寄稿。+[引用を読む] |
◆ムッソリーニが処刑される(ギウリーノ・ディ・メッツェグラ)。 |
9 | 「イタリア新芸術分離派(Nuova Secessione Artistica Italiana)」結成(ヴェネツィア)。1947年、「芸術新戦線(Fronte Nuovo delle Arti)」に発展解消。 |
10 | ◎フォートリエ、《人質》シリーズを発表(ルネ・ドゥルーアン画廊、パリ)。 |
12 | 雑誌『ヌーメロ(Numero)』刊行(ミラノ)。コッレンテのメンバーが関わる。 |
― | ローマアートクラブ(l'Art club di Roma)設立。政治的自由を謳う芸術家たちが集い、展覧会や講演会を組織。ジョゼフ・ヤレーマ協会会長、プランポリーニ副会長。デ・キリコ、セヴェリーニ、デ・ピシス、リオネッロ、ヴェントゥーリが名誉委員、カポグロッシとファッツィーニが顧問を務める。 |
ムナーリ、モーター付きの最初のキネティック・アートを制作。また、子どものための仕掛け絵本10冊シリーズより7冊を刊行。 |
ヴェントゥーリ、亡命先のアメリカから帰国。ローマ大学で教鞭を執る。 |
◆グラムシ『獄中ノート』初版刊行。 |
◆レーヴィ『キリストはエボリに止りぬ』刊行。 |
◆ロベルト・ロッセリーニ監督「無防備都市」公開。 |
1946 | 2 | 「レアリズモ宣言 : ゲルニカを越えて(Manifesto del Realismo Oltre Guernica)」が『ヌーメロ』に掲載される(ミラノ)。ヴェドヴァ、モルロッティらが署名。コッレンテ派の芸術家たちが数多く参加し、戦後美術の指標となる。 |
3 | 「社会芸術(Arte Sociale)」のメンバーによる初のグループ展(ヴェネト通り、ローマ)。ドラッツィオ、ペッリーニ、ヴェスピニャーニが参加。後の「フォルマ1(Forma1)」の結成に繋がる。 |
6 | ◆イタリアが君主制から共和制に移行。 |
9 | 「今日のフランス絵画(Pittura Francese d'Oggi)」(ローマ国立近代美術館)。ブラック、ドローネー、デュフィ、マティス、ピカソなどを紹介。 |
10 | 「イタリア新芸術分離派」が宣言を発表。美学と政治の分離を求め、ビロッリ、グットゥーゾ、トゥルカート、ヴェドヴァ、モルロッティらが署名。 |
― | この年、「白の宣言(Manifesto blanco)」発表(ブエノスアイレス)。「空間主義(Spazialismo)」の前哨となる。フォンタナの思想に基づいて起草されたと考えられていたが、フォンタナ本人の署名はなし。かわりにフォンタナの教え子である若い作家たちが名を連ねる。+[引用を読む] |
ブッリ、イタリアに帰国。絵画制作に専念。 |
ナヴィーリオ画廊(galleria del naviglio)開廊(ミラノ)。 |
◆デ・シーカ監督「靴みがき」公開。 |
◆ロッセリーニ監督「戦火のかなた」公開。 |
1947 | 1 | 「抽象・具象美術国際展(Mostra Internazionale d'Arte Astratta e Concreta)」(パラッツォ・レアーレ、ミラノ)。マックス・ビル、マックス・フーバー、ジローラモ・ボンベッリ企画。カンディンスキー、クレー、マックス・ビルなどを紹介。イタリア人ではジッロ・ドルフレス、リチーニ、ムナーリ、ラディーチェ、マンリオ・ロー、エットーレ・ソットサスなどが展示。 |
3 | 雑誌『フォルマ・ウーノ(Forma1)』創刊(ローマ)。宣言文「フォルマ」を掲載。ネオ・キュビスムに対抗。カルラ・アッカルディ、ピエトロ・コンサグラ、ピエロ・ドラーツィオ、ミーノ・グェッリーニ、アキッレ・ペリッリ、アントニオ・サンフィリッポ、ジュリオ・トゥルカートが署名。リアリズムと政治的主題を拒否し、「マルクス主義者であり形式者」であることを表明。 |
5 | 「空間主義宣言(Manifesto dello spazialismo)」が起草される(ミラノ)。ブエノスアイレスからミラノに戻ったフォンタナを中心に、ヨッポロ、カイセルリアン、ミラーニが署名。 |
6 | 「芸術新戦線」による初のグループ展(スピガ画廊、ミラノ)。マルキオーリ企画。ファッツィーニ、ヴィアーニ、レオンチッロ、フランキーナ、コルポラ、ヴェドヴァ、ピッツィナート、モルロッティ、サントマーゾ、グットゥーゾが展示。 |
7 | ブッリ初個展(ラ・マルゲリータ画廊、ローマ)。具象的な静物画、風景画などを発表。 |
― | この年、オベリスコ画廊開廊(ローマ)。 |
この頃から抽象‐具象(リアリズム)論争が盛んになる。イタリア共産党の「社会的主張を描くのに非具象絵画は何を成しうるか?」という批判から議論に発展。 |
1948 | 3 | 「イタリアの抽象美術展(Arte Astratta in Italia)」(ローマ画廊)。ローマアートクラブ企画。アッカルディ、コンサグラ、ドラツィオ、ドルフレス、フォンタナ、リチーニ、マニェッリ、ソルダーティ、トゥルカート、ヴェドヴァなど、30年代から活躍する大家と若手の抽象主義の作家が展示。 |
「第2次空間主義宣言」が起草される。フォンタナ、ヨッポロ、カイセルリアン、ミラーニ、ドーヴァ、トゥッリエが署名。 |
「具象芸術国際展(Rassegna Nazionale delle Arti Figurative)」(ローマ国立近代美術館)。第5回ローマ・クァドリエンナーレ。前回から運営体制が変化したことにより、この年のみ展覧会名を変更。抽象主義の作家(レッジャーニ、ラディーチェ、ムナーリなど)に一室が与えられるほか、プランポリーニ、グットゥーゾ、コルポラ、アフロなど、ネオキュビスムの作家が展示。 |
5 | ブッリ個展(ラ・マルゲリータ画廊、ローマ)。抽象表現による作品を展示。 |
6 | 第24回ヴェネツィア・ビエンナーレ。戦時の中断から再開。美術史家ルドルフォ・パルッキーニが事務局長を務める。印象派と後期印象派、クレーの回顧展やピカソの個展を開催。イタリア美術の歩みを通観する企画展「3人のイタリア画家 1910年から1920年」では、カッラ、デ・キリコ、モランディに一室が当てられる。マルキオーリ企画による芸術新戦線の展覧会では、トゥルカート、サントマーゾ、コルポラ、ピッツィナート、グットゥーゾ、ヴェドヴァ、ビロッリ、モルロッティが出品。アルガン企画によるペギー・グッゲンハイム・コレクション展では、キュビスム、形而上絵画、シュルレアリスムからアメリカの抽象表現主義までを展観。国際大賞=ブラック(絵画)、ムーア(彫刻)、国内大賞=モランディ(絵画)、マンズー(彫刻)、ミーノ・マッカリ(版画)。 |
10 | 「現代美術初の全国展(Prima Mostra Nazionale d'Arte Contemporanea)」(文化同盟、ボローニャ)。ライモンディ、ニューディ、アルカンジェリなど、ボローニャで活躍する批評家が組織委員会に加わる。ボローニャの美術家を中心に、芸術新戦線、フォルマの作家らが参加。展覧会は議論を巻き起こす。カタログ序文。+[引用を読む] |
― | この年、「具体美術運動(Movimento Arte Concreta)」結成(ミラノ)。通称MAC。アタナシオ・ソルダーティ、ジッロ・ドルフレス、ジャンニ・モネ、ブルーノ・ムナーリが参加。幾何学的抽象を志向。12月にの初の展覧会(サルト書店、ミラノ)。カタログ執筆はマルキオーリ。ドラツィオ、ドルフレス、フォンタナ、ガラウ、グエッリーニ、マッツェン、モネ、ムナーリ、ペリーリ、ソルダーティ、ソットサス、ヴェロネージが展示。 |
◎「コブラ」結成(パリ)。 |
◆デ・シーカ監督「自転車泥棒」公開。 |
◆ロッセリーニ監督「ドイツ零年」公開。 |
1949 | 2 | フォンタナ個展(ナヴィーリオ画廊、ミラノ)。初の環境芸術《ブラックライトによる空間環境》発表。その後、「穴(buchi)」シリーズに着手。 |
6 | 「20世紀イタリア美術展」(ニューヨーク近代美術館)。アルフレッド・バー・ジュニア、ジェームズ・ソビー企画。アメリカで初めて20世紀イタリア美術を体系的に展観。 |
抽象主義の国際展(ラ・ストロッツィーナ画廊、フィレンツェ)。 |
10 | 雑誌『AZ』創刊。マリオ・バッロッコ編集。抽象主義などを紹介。 |
― | 「オリジネ」結成(ローマ)。メンバーは、アルベルト・ブッリ、マリオ・バッロッコ、エットーレ・コッラ、ジュゼッペ・カポグロッシ。カポグロッシはアトリエをギャラリーに改装、1952年からオリジネ財団として運営。 |
◇北大西洋条約機構(NATO)設立。 |